能登和倉万葉の里マラソン2013・後編『おかげで30kmまで走れたから、一緒にゴールしよう』
ブログランキングにエントリー中です。クリックよろしくどうぞ!
強風のツインブリッジのとを渡り終え、ゴールまで残り20km。
僕の初フルマラソンの後半戦スタートだ。
ここらで、前半からずっと一緒に走り続けている彼女をご紹介しよう。
彼女の愛称は、おかめ。
とてもユニークな世界観の持ち主で、チームの同期メンバーの紅一点だ。
さて、ここで良い異変に気づく。
どうやら痛み止めが効いているような気がする。
炎症を起こしている右足の靭帯に、ほとんど痛みを感じない。
効き始めるまで30分と言われた薬。
18km付近で飲み、30分ほど走った23km付近から効き始めたのだろうか。
まだまだ気は抜けないが、タイムもまずまず、4時間30分がいよいよ見え始める。
しかし能登万葉のコースは、後半も決して楽ではなかった。
コース上に10箇所ある上り坂の残り2つが、目の前に立ちはだかる。
残りたった2つじゃないかと思っていたが、その2つがとんでもない坂だった。
まずは俗に言う「9番坂」。
坂と呼ばれてはいるが、赤字で「山」と表示されていた。
噂通りだ。みんな歩いていた。
でも我々は歩かなかった。
理由は「歩いたら『完走』ではない」というおかめさんの口癖だ。
今までその意味がよく分からなかった。歩いてもゴールすれば完走は完走だろうと思っていた。
でも、今回フルマラソンを走りながら、その意味が分かった気がした。
こんなひどいコース、歩いても誰も気にしないし、仲間が見ている訳でもない。
歩いてもベストタイムを更新する時だってあるし、みんな足がつって、みんな歩いてる。
でも、もし己に負けてたった一度だけ歩いてゴールしたら、その一度を自分自身が凄く悔やむのではないかと思った。
胸を張って気持よく「自分は走り切った!」と言えない気がするから、それは完全走破「完走」ではないのだろうと。
なので、できる限り前傾になって根性で駆け登った。
これで難所はクリアしたか!
そう思った矢先、1〜2km先にあった最後の坂。
これがクセ者だった。意外と長くて急だった気がする。
9番坂ほどではないが、一安心した直後だったから余計辛く感じたことだけは覚えている。
正直、ここらへんから5kmほど先は朦朧としていた訳ではないが、あまり覚えてない。
一言で言えば「無」だったのだろう。景色も覚えてない。
最後の坂も駆け上り、越えて、我々はとうとう30km地点に到着した。
30kmの通過タイムは3時間12分。
差し引き21〜30kmを1時間06分。
ややペースダウンをしたが、我々がとりあえず設定した30kmゴールに到着。
じつは自分は30km以上を走ったことがない。彼女は去年この能登を完走しているが。
で、自分の脳裏にふと、「今から走る距離は、自分にとっては常に新記録だ。」
「いつリタイアしても、とりあえず距離の記録は更新できた。」そう思ったのをはっきり覚えている。
痛み止めは飲んだが、疲労からいろんな箇所にガタが出はじめていた。
足首、膝、太もも、腕、肩、いろいろと。そんな中での30km地点到達。
自分の中に少しだけ達成感が湧き、それを見計らったかのように「今からはリタイアしても一定の満足感は得られるぞ」と、悪魔が囁いた。
その時、それを見透かしたかのようなおかめさんの一言。
「もうリタイアはナシやよ。ゴールしかないよ。」
ハッと目が覚める自分。悪魔は舌打ちをしてどこかへ消えた。
ここまで来て、まだリタイアという選択肢が頭のどこかにあった自分が情けない。
でもおかげではっきり目標が定まった。
「じゃあ、今から朝練12km走をスタートしようか!」と自分。
チーム金港堂ジョークだ。
残り12kmをしっかり完全走破して、気を引き締め直してゴールを目指した。
と、30kmを過ぎてから彼女のスピードが上がらない。
どうしたのかと聞くと、走っている最中に足の裏に水ぶくれができ、それが潰れたらしい。
激痛だと言いながら走り続ける。
6'30"/km前後だったペースが、6'30"〜7'00"/kmまで落ち始めた。
一緒に走るにあたって、スタート前に決めたルールがひとつ。
お互い怪我持ち、万一どちらかが自分の判断でリタイアしてもそれは仕方ない、残りは一人で頑張る。
一応ランナーの端くれ、走れるのに一緒になってリタイアする、そんなくだらない選択肢はなかった。
走れるのかと聞くと、とりあえず走れる、リタイアは有り得ないと言う。
35km付近、さあいよいよ残り7kmとなるも、潰れた水ぶくれの痛みが引くわけもない様子。
自分は逆に目が覚めたせいか、ペースを維持して走れるくらいの足はなんとか残っていた。
とは言え、余裕があったわけではないので、無心で走っていると少しおかめさんと距離が空いてしまうのに気づく。
「足が残っているなら、先に行ってもいいぞ。」と言われた。
その時点で4時間30分が切れないのは分かっていたが、残り7km、キロ30秒ほどペースを上げれば、3分くらいは縮めることができると計算した。
ランナーたるもの、1分でも1秒でも記録を縮めなければと思い、先に行こうと思った。
でも行かないことにした。
「おかめさんのおかげで30kmまで走って来れたから、一緒にゴールしよう!」と伝えた。
怪我が治らず、スタート前から雨に打たれ、気温差は激しいわ、坂はあるわ山はあるわ、橋の上は強風だわ、遥か彼方に見える和倉温泉はいっこうに近づいてこないわ、30km過ぎに悪魔に囁かれるわ。
完走できないかもしれないと腹をくくって望んだレースだったから、一人で心が折れてリタイアしててもおかしくなかった。
そんな状況でここまで引っ張ってもらったから、残りは自分が引っ張ろうと思った。
そして40kmの看板が見えた時に、自分から感謝を込めて提案をひとつ。
かくして我々はその提案通り、ゴール前のストレートで上着を脱ぎ、ゼッケンが見えるような格好となり、オールスポーツコミュニティのカメラマンとのっぺがいるのを確認し、お互いの手を高く掲げてゴールした。
まったくの同着、同タイムで。
ランナー歴2年半、初めて挑んだフルマラソンは、
グロスで4時間40分59秒。ネットで4時間38分43秒
まずまずのタイム、でも達成感のあるタイム、そしてしばらくフルマラソンは控えようってタイム。
完走後にチームのみんなと食べた牡蠣とビールは、そりゃ美味かった。去年より格別に。
おかめさんにはビールを一杯ご馳走した。ありがとう。
チームから出走した全員が無事完走。続々とベストを更新。そして記念撮影。
やはりこのレースは楽しい。来年も参加しようと思える結果になって本当に良かった。
さてさて次回は『フルマラソン一週間後の金沢ロードレースを廃人で出走する』の巻です。
強風のツインブリッジのとを渡り終え、ゴールまで残り20km。
僕の初フルマラソンの後半戦スタートだ。
ここらで、前半からずっと一緒に走り続けている彼女をご紹介しよう。
彼女の愛称は、おかめ。
とてもユニークな世界観の持ち主で、チームの同期メンバーの紅一点だ。
さて、ここで良い異変に気づく。
どうやら痛み止めが効いているような気がする。
炎症を起こしている右足の靭帯に、ほとんど痛みを感じない。
効き始めるまで30分と言われた薬。
18km付近で飲み、30分ほど走った23km付近から効き始めたのだろうか。
まだまだ気は抜けないが、タイムもまずまず、4時間30分がいよいよ見え始める。
しかし能登万葉のコースは、後半も決して楽ではなかった。
コース上に10箇所ある上り坂の残り2つが、目の前に立ちはだかる。
残りたった2つじゃないかと思っていたが、その2つがとんでもない坂だった。
まずは俗に言う「9番坂」。
坂と呼ばれてはいるが、赤字で「山」と表示されていた。
噂通りだ。みんな歩いていた。
でも我々は歩かなかった。
理由は「歩いたら『完走』ではない」というおかめさんの口癖だ。
今までその意味がよく分からなかった。歩いてもゴールすれば完走は完走だろうと思っていた。
でも、今回フルマラソンを走りながら、その意味が分かった気がした。
こんなひどいコース、歩いても誰も気にしないし、仲間が見ている訳でもない。
歩いてもベストタイムを更新する時だってあるし、みんな足がつって、みんな歩いてる。
でも、もし己に負けてたった一度だけ歩いてゴールしたら、その一度を自分自身が凄く悔やむのではないかと思った。
胸を張って気持よく「自分は走り切った!」と言えない気がするから、それは完全走破「完走」ではないのだろうと。
なので、できる限り前傾になって根性で駆け登った。
これで難所はクリアしたか!
そう思った矢先、1〜2km先にあった最後の坂。
これがクセ者だった。意外と長くて急だった気がする。
9番坂ほどではないが、一安心した直後だったから余計辛く感じたことだけは覚えている。
正直、ここらへんから5kmほど先は朦朧としていた訳ではないが、あまり覚えてない。
一言で言えば「無」だったのだろう。景色も覚えてない。
最後の坂も駆け上り、越えて、我々はとうとう30km地点に到着した。
30kmの通過タイムは3時間12分。
差し引き21〜30kmを1時間06分。
ややペースダウンをしたが、我々がとりあえず設定した30kmゴールに到着。
じつは自分は30km以上を走ったことがない。彼女は去年この能登を完走しているが。
で、自分の脳裏にふと、「今から走る距離は、自分にとっては常に新記録だ。」
「いつリタイアしても、とりあえず距離の記録は更新できた。」そう思ったのをはっきり覚えている。
痛み止めは飲んだが、疲労からいろんな箇所にガタが出はじめていた。
足首、膝、太もも、腕、肩、いろいろと。そんな中での30km地点到達。
自分の中に少しだけ達成感が湧き、それを見計らったかのように「今からはリタイアしても一定の満足感は得られるぞ」と、悪魔が囁いた。
その時、それを見透かしたかのようなおかめさんの一言。
「もうリタイアはナシやよ。ゴールしかないよ。」
ハッと目が覚める自分。悪魔は舌打ちをしてどこかへ消えた。
ここまで来て、まだリタイアという選択肢が頭のどこかにあった自分が情けない。
でもおかげではっきり目標が定まった。
「じゃあ、今から朝練12km走をスタートしようか!」と自分。
チーム金港堂ジョークだ。
残り12kmをしっかり完全走破して、気を引き締め直してゴールを目指した。
と、30kmを過ぎてから彼女のスピードが上がらない。
どうしたのかと聞くと、走っている最中に足の裏に水ぶくれができ、それが潰れたらしい。
激痛だと言いながら走り続ける。
6'30"/km前後だったペースが、6'30"〜7'00"/kmまで落ち始めた。
一緒に走るにあたって、スタート前に決めたルールがひとつ。
お互い怪我持ち、万一どちらかが自分の判断でリタイアしてもそれは仕方ない、残りは一人で頑張る。
一応ランナーの端くれ、走れるのに一緒になってリタイアする、そんなくだらない選択肢はなかった。
走れるのかと聞くと、とりあえず走れる、リタイアは有り得ないと言う。
35km付近、さあいよいよ残り7kmとなるも、潰れた水ぶくれの痛みが引くわけもない様子。
自分は逆に目が覚めたせいか、ペースを維持して走れるくらいの足はなんとか残っていた。
とは言え、余裕があったわけではないので、無心で走っていると少しおかめさんと距離が空いてしまうのに気づく。
「足が残っているなら、先に行ってもいいぞ。」と言われた。
その時点で4時間30分が切れないのは分かっていたが、残り7km、キロ30秒ほどペースを上げれば、3分くらいは縮めることができると計算した。
ランナーたるもの、1分でも1秒でも記録を縮めなければと思い、先に行こうと思った。
でも行かないことにした。
「おかめさんのおかげで30kmまで走って来れたから、一緒にゴールしよう!」と伝えた。
怪我が治らず、スタート前から雨に打たれ、気温差は激しいわ、坂はあるわ山はあるわ、橋の上は強風だわ、遥か彼方に見える和倉温泉はいっこうに近づいてこないわ、30km過ぎに悪魔に囁かれるわ。
完走できないかもしれないと腹をくくって望んだレースだったから、一人で心が折れてリタイアしててもおかしくなかった。
そんな状況でここまで引っ張ってもらったから、残りは自分が引っ張ろうと思った。
そして40kmの看板が見えた時に、自分から感謝を込めて提案をひとつ。
かくして我々はその提案通り、ゴール前のストレートで上着を脱ぎ、ゼッケンが見えるような格好となり、オールスポーツコミュニティのカメラマンとのっぺがいるのを確認し、お互いの手を高く掲げてゴールした。
まったくの同着、同タイムで。
ランナー歴2年半、初めて挑んだフルマラソンは、
グロスで4時間40分59秒。ネットで4時間38分43秒
まずまずのタイム、でも達成感のあるタイム、そしてしばらくフルマラソンは控えようってタイム。
完走後にチームのみんなと食べた牡蠣とビールは、そりゃ美味かった。去年より格別に。
おかめさんにはビールを一杯ご馳走した。ありがとう。
チームから出走した全員が無事完走。続々とベストを更新。そして記念撮影。
やはりこのレースは楽しい。来年も参加しようと思える結果になって本当に良かった。
さてさて次回は『フルマラソン一週間後の金沢ロードレースを廃人で出走する』の巻です。
by makoto9010
| 2013-03-12 19:30
| 能登和倉万葉の里マラソン